いま、テレビや雑誌、インターネットでさまざまなニュースがセンセーショナルに取り上げられています。
特にテレビやインターネットから、事件の情報を生々しく伝えられます、良くも悪くも我々に色んな情報を与えてくれています。
情報量の多い世界では、悲惨で残酷性が強い事件ほど人々から注目され、それがメデイアにとっては最高のネタになることが多いです、それが利益になるのですから。
視聴者はテレビから悲しい事件を知らされ、何度も繰り返し垂れ流しされる惨状を、まるでエンターテイメントのように無意識に見せられているのが現実です。
いまさら「テレビを手放せ」というのも無理な話しです、テレビは取捨選択して観れば最高の情報ツールになるからです。実際に良い番組もたくさんありますから。
そんな情報社会のなか、私たちは日常の中でいろんなものを見たり聞いたりするときに、なるべく事実を見抜く「目」を持つことがとても大事になっています。
①真実を見抜く
テレビで何かのニュースを見た時、必ず加害者と被害者がいます、
片方が正義で片方が悪となると、無意識に加害者が悪いと感じるでしょう。
でもそこで一旦、考えてみます、、
逆に加害者がしてしまったことには何か深い事情があるのでは?と、
そもそも事件を取り上げる人たちがテレビのコメンテーターや専門家を使い、偏った目で見た情報を伝え、視聴者を煽っている可能性もおおいにあります。
そう考えると、日常の中での善と悪、光と闇、プラスとマイナス、こういう2限性に振り回されずに真ん中で真実を見抜くことができるようになります。
これは、ドラマを見ていたり、漫画を読んだりしているときにもすごく役立ちます、
例えば漫画を見ていたとします、そして主人公の前にどう見ても悪いヤツが敵として現れたら「やっぱりこいつほんと悪いやつだな」と思うでしょう、
でも、この悪の人はそれが正しいと思ってやっているのだとしたら、どういう事情があるんだろうか?と、
いちど頭を巡らせてみると、また違ったものが見えてきます。
例えばワンピースという漫画でもあるように、主人公のルフィーたちが海賊を目指して、いろいろ冒険をするなかで
出てくる敵がどうゆう風に育っていまに至るのか、という回想シーンを見終わった後、
「悪役の海賊たちにも事情があったんだな」と感動させられるシーンがあります、
それをみると敵も最初は愛で満ち溢れて生きていたんだなと思うわけです。
そういう視点で見ることによってニュースなどに踊らされない「自分軸」みたいなものが見えてくるのではないかと思うのです。
②苦悩をとっていく
片方の正義しか見てなかったりとか、片方の悪からしか見なかったりすると意識が偏ってきてしまいます。
「あいつは絶対に間違ってる、許せない」と思ったりするわけです。
でもどちらにも事情があるかも知れないと思うことによって、
極端にポジティブに触れたり極端なネガティヴに触れることもなくなっていきます、
大人になるとひとつの物事に対して色んな側面で見えるようになります。
だから自分自身の心も一喜一憂しなくなる、真実は真ん中にあるんだろうな、という気持ちでいられるようになってくるんです。
だから、逆にどうなんだろう?と考えることが非常に大事になります。
そして自分の嫌いな部分、許せない部分、ネガティヴな部分も逆に活かすとしたらどおだろう?と考えることもできます。
誰かの嫌いな部分も逆にそれが何かの学びになって後に役に立つこともあります。
でも、逆にどうなんだろう?を口に出してしまうと確実に嫌われます。
そういうときは、「両方とも正しいと思うんだけど自分はこちらを選択します」というように自分のなかでバランスをとったうえで正解を出して、誰かに対して伝えます、
「私はこのように思います」と、
逆に、を考えてみる、でもいいすぎない。
バランスのとれた人間関係を目指しましょう。ご覧いただきありがとうございます。