2021年夏、先祖の霊を祀る行事であるお盆が幕を閉じた。お盆という期間は日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事であるらしい。
我家は伝統を伝えている本家(ほんけ)として先祖代々受け継がれている家柄であり、お盆になると分家を招きおもてなしをしていた。
本家の女衆は近しい分家(親族)に飯をふるまい、片づけをし、陰で文句まで言われる。なんとアホらしい重層的土地支配構造であろう…
私は本家の長男として生まれ、その役目を果たす事のできぬ身持ちがおさまらない息子ゆえ、親族が集まるたびに哀れさ惨めを感じている。
実家にいると実に不愉快で情けない気持ちにさせられるし、この時期はずいぶんエネルギーを吸いとられ疲弊してしまう。
しかし、時が経つにつれ少子化が進み、お盆という行事も様変わりしているように感じる。寂しいけれど、これで良いのかも知れない。
人は血統や流派にこだわり所有という概念を捨てられず、家系をつなぐ事を使命として重んじている。その血統も一瞬のシステムである。
皆、所有欲、物欲に溺れ、過去のしがらみから抜け出せずにいる…私の家、私の子供、なぜ?次第に思い通りにならない事に気づいて行く。
私利私欲を抱えながらも人間らしく、思い通りにならないまま可愛げに生きて行こうぞ、少しずつ、変化して行けば良いのだ。
先祖という重荷を降ろす私の旅はまだまだ続くのである。できる限り娯しみながら生きて行こうと思うている。