今日は神という際どいキーワードでブログを書き記したいと思います。
神というものを定義づけるとき、必ず人の価値観が介入してきます。
僕は今でも神という言葉に違和感を植えつけられているので…
ここでは神ではなく、天と表現していきます。
まず結論から言うと、
天は絶対的なものであり、人の意思でもあると思います。
自分は天の一部であり、創造者であるという、そうでありたい自我を持っています。
天は「宇宙の存在」という点で自分の中に存在していました。
でも、「新たな点」が自分の中で発見されたのです。それは…
宇宙自体がひとつの地球であり、大地は宇宙という天の一部ではないのかと…
本当の天は「隠された点」であるのかも知れません。
人は弱い生きものだから天という神が必要なのだと思います。
いや、もしかすると、弱いと思わされているだけかも知れません。
この世界には、一神教や多神教、たくさんの宗教が存在します。
一神教vs多神教
この考えが人を混乱させ、人に違いを生ませるのかも知れません。
それを弱さというのならそうなのかも知れません。
人には信じたいものがあり、所有欲があり、それが宇宙へ置き換えられます。
今、起きている災害や、目に見えぬ脅威、格差などの争いは…
天からの罰として意図的に与えられているのではないかと思えてしまいます。
だけど、皆が天の魂であり、意思であるとしたら、なぜ人間は創造されたのか?
テレビは悪とか、学校は悪とか、社会は悪とか病気は悪とか…
支配者と奴隷
この構図は天から人に与えられたチャレンジなのだとしたら?
支配者も奴隷もない、別の次元が存在しても良いのではと思えてきます。
その次元へ行く過程に僕ら人類が置かれているのだとしたら…?
こうして生かされている事には意味があるのだと感じます。