こんばんは、いしくれです。今日は実家に帰ってきています。
実家に戻るとどおしても母親の言動や父親の態度に心を振りまわされます。
今まで自分に嘘をついてなるべく身近な人たちを心配させないようにしてきました。
人から嫌われたくないから、人を安心させてあげたいから、人に認めて欲しいから…
だが、本音を隠せば隠すほど自分にウソをつくことに疲れていきました。
いまだに僕に対する両親の願いが、仕事をして、結婚して、子供をつくることだと知り
大変ショックを受けました。
そういった安定を母は親として子の僕に言葉として投げかけてきたのです。
今まで仕事を我慢をしてきて、さらに我慢を強いられる感覚になる。
仕事=苦しい事、我慢事になると
世間が敵となり、自分軸が恐怖となり、外に出ることが億劫になります。
仕事=嬉しい事、楽しい事、気持ち良い事に変えるためには、
小さな行動を習慣にすることが大事になると確信してます。
小さな行動とは何か?
それはまず何でもいいから挑戦することだと思います。
その挑戦がお金になる事にならなければこの疎外感は付きまとうのだと思います。
別にお金にならなくても良いのですが、やはりお金というエネルギーは必要です。
この世界からお金というものがなくなったとき、本当の幸せって感じられるもの。
他人の目を気にしていると、幸せって何か?わからなくなることがあります。
周りの期待に応えられない自分はダメ、親を安心させられない自分はダメ、
ああしなさい、こうしなさい、こうするべきだと誰かに抑えつけられ、
従う事が愛だという認識を持ってしまうと本当に苦しいです。
愛とは、そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持のことです。
しかし、愛には種類があります。
1・かわいがる。いとしく思う。いつくしむ。いたわる。と言った
愛憎・愛情・慈愛・偏愛・博愛・親愛・敬愛・情愛・溺愛(できあい)・母性愛
2・男女が思いあい、親しみの心でよりかかる
愛執(あいしゅう)・愛欲・相愛・恋愛・求愛
です。
愛とは深いもので、おそらく愛がテーマの世界に僕たちは生まれてきたのだと思います。
僕が両親から感じる愛は
情愛・偏愛・親愛・母性愛
幼い頃は皆、両親から見放されるということは、命に関わることですから
親にはなかなか逆らえません。
今日は犬の散歩中にこれからどおするのかという事を母と話したとき
「あなたも苦しいかも知れない、でも、僕も苦しみと戦っているんだよ」
と伝えました、僕は怒りや悲しみといった感情が湧き上がっていました。
それを言葉にできたことは良かったです。しかし、後から罪悪感が襲ってくるんです。
だからと言って本音を隠して自分に嘘をつき続け心を枯れさせるわけには行きません。
ウソが必要な場面はありますが、長期的にウソをつき続けるには限界もあります。
これからは自分に対してなるべく嘘はつかないようにして行きます。
相手に合わせてストレスをためることがすべてではありませんから。
肉親であっても距離を置くことは大事。
自分を産んで一生懸命に育ててくれた両親であっても距離をおく必要があります。
この世界ではやむを得ないです。
みんなにはみんなの個性があってライフスタイルがある。だけど
本当は個性がひとつの集合体になることができるのではないかと思います。
もう憎しみあう環境にはウンザリ。世界はもっと自由で良いはず。