○◯の日を考える
5月5日今日は子供の日、来週の日曜日は母の日らしい、5月は何かとイベントが多い、意識しなければいいのだけど、、
〇〇の日だからこれをしなきゃとか、みんなと同じ決まったことをしなければダメだとか考えて焦ったりします。
〜の日だから〜をすべき〜しなければならない、と思わされるのはなぜだろう?集合的無意識?日本の洗脳教育?TVのCMとかメディアによる刷り込み?
いろんなグッズやモノが売れて社会経済がまわり景気が良くなって「みんな幸せ」なら、とても良いイベント事だけどそうは思えません。
花屋や専門店などのビジネスを仕掛ける側と、商品を購入する消費者として仕掛けられる側とで価値の交換が行われ一部の人は満足するけど、
親に鯉のぼりを出してもらえない子供や身内からギフトをもらえない母親とか子供がいない人や母親がいない人はこの日に不足感を抱かないだろうか。
世の中は「ある」と「ない」の二元性で成り立っていて、あれば満足感に浸り、ないと足りなさを感じ劣等感を持つ、そこで軋轢が生じる。
少子高齢化の現代だからこそ、あらゆる立場の国民が全員で一体となって楽しめる◯◯の日があると良いな。
最近、この本をネットで見つけました、
子宮帰れとか…おもろないですか(笑)
僕の母は今も健在で、母から味のある文字や絵文字をつけた面白いメールを何度か受け取ったことがあります、母なりに一生懸命メールを作って送ってくれたと思うと愛情すら感じます。
この本はそんなネット上にある母との爆笑メールを本にまとめたものらしいです、「コインランドリー行ってきます」が「コカインランドリー行ってきます」になっていたらマジなの?なんて、シャレにならないでしょう(笑)https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%93%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%80%8E%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%93%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%8F%E5%88%B6%E4%BD%9C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/4594070531
母の日とわたし
僕は毎年、母の日に花キューピットで購入した花を郵送で送っています、花が届いた時、母の喜ぶ姿をみると安心するからです。
今年は僕が精神的な病気であまり良い状況ではないので母に「あんたお金ないでしょ?今年は花くれなくていいよ」と言われ傷つきました。
両親は今、長男の僕に失望していて、それがとても辛いけど、程よい距離感を持って良い関係でありたいと思っています。
こんな僕を母は心配してくれているのでしょう、親を心配させ、親の期待に添えない自分に嫌気がさす毎日です。
母という存在
母の日というといっけん素敵な日のように思うけど、すごく苦手な人もいると思います。お母さんに感謝できる人は何かしてあげるといい、
お母さんに感謝できるなら普段からたくさん親孝行すれば良い、母の日というイベントを利用して感謝を示しても素敵だと思う。
できない人は無理に考えたり、してあげられない自分を責めたり、悲しくなったりしなくていい、
自分がお母さんという立場になって幸せなことより辛いことが沢山ある人もいる、だから○○の日だからって無理しなくていいです。
まずは自分を大事にする、それだけで十分、親孝行はできてます。
母親という存在はいろんな意味ですごい!母の言動ひとつで嬉しくなったり悲しくなったり、特に幼少期は影響をもろに受ける存在。結局、母は偉大なんです。
子が親から受ける影響
親に見放されるということは、子供にとって「死」を意味すること、親に嫌われないように、僕たちは両親の態度や言動に強烈な影響を受けて人格を形成しています。
ああしなさい、こうしなさい、
こうあるべき、こうなりなさい、
良い学校に入って、良い会社に就職して、良い結婚をして、良い仕事をして、家族を持って、孫の顔を見せて、家を継いで、老後の面倒は任せるから、
どうか私たちを安心させてください、そのためにあなたの将来を全力で応援するから、それがあなたの幸せなのです、頼みますよ、と、、
親から条件つきの愛をもって育った大人が沢山います、親の期待に応えられなければ俺は、私はなんてダメな人間なんだと強烈な自己否定に襲われます。
そんな葛藤の中で本当の自分を探し成長する人もいれば、親の呪縛から逃れられず世間体を気にして無理して良い子を演じた結果、疲れて自ら命を落としてしまう人もいます。親の影響力は計り知れません。
毒親の存在と引きこもる中年
親の教えがメンタルブロックとなり、大人になっても行動を制限してしまう人がいます、よく親のせいにするなという人がいますが、子供の無力感の原因を作っているのは毒親と呼ばれる一部の種族です。
問題なのはその毒親に悪気がないという事、先祖代々、親から子へと教え伝えられてきた教育方針を良かれと思い子供に継承しているだけなのです。
私たちはこう教えられたのだから、あなたもこうあるべき、その教えに逆らい、レールから外れてしまった子供が落ちこぼれのレッテルを貼られ自分の殻に閉じこもるのです。
人は皆、未完成な生き物
両親や大人から課せられる条件や教えから有能な自分と無能な自分が生まれます、鬱とは無能な自分を受け入れられず排除しようとする事で生まれます。
前述した通り両親の愛が強ければ強いほど期待値が大きくなり、劣等感を持って生きざるを得なくなり、いつも重たいものを抱えて生きることになります。
ダメな自分を認められず排除しようとすると苦しさが増してくる、葛藤の正体は親の影響が大きいと思います。
完璧な人間なんていない、未熟な人間から未熟な人間が生まれ、親も子も未熟でありながら失敗し共に成長していくのだと思います。
そういった視点を持って、自分の親や他者を見てみると、自分も相手も許せて自分がいつも中心でいられる気がします。
子育てには経済力と周りのサポートが必要。
お金、健康、人間関係がバランスよく三位一体そろってる家庭って今の時代、なかなかないのではないでしょうか、どこの家庭も余裕がない。
またはお金はあるけど時間が買えなという人もいます、そんな余裕のない大人が自分の都合で子育てをすれば、虐待される子供が増えてしまいます、だからこそ会社とか地域を含めた周りの理解とサポートが必要なのだと思います。
虐待による死亡事例は年間50件を越えています。一週間に一人の子供が命を落としている現実、僕には子供がいませんが他人事でなく感じます、なかには理性をコントロールできず子供をボコボコにするモンスターもいます。
大人のエゴで未来の希望である子供が犠牲になる事件は悲しすぎる、子供を産まないという選択肢もあると思います、親にならず子供を産まない人が無責任なんてことはありません、子供は地球の宝物、所有物ではないのだから、、