今日づけで、25年間勤めた会社を引退することになった。
1995年入社~2010年在職。2010年~2012年休職。2013年復職~2017年在職後、2017年~2020年再休職。2020年の今日をもって休職満了期間が終了。ぶら下がり社員の我慢大会、
全25年の活動期間をここに記録。
得たスキル→我慢と忍耐。
我慢と忍耐を続けた結果…
突発性難聴、尿管結石、アレルギー性鼻炎、神経陰性膀胱炎、前立腺炎、尿閉、睡眠障害、うつ病など、数々の身体的精神的症状を経験。
会社よ、今まで仕事を与えてくれてありがとう。サポートしてくれたすべての人に心からの感謝と敬意を。
誰からも認められない、祝福されない退職だが、自分に言いたい、
よく耐えた、本当に…お疲れさま。と…
勤務年数(懲役)21年、休職期間(執行猶予)4年。会社員生活(獄中生活)にピリオドを。
そして、新たなる旅路へ。
俺的ストーリー
1995年、新卒で工場に入社し作業者として昼夜2交代制勤務をつづけるが、職場のしがらみや長男としての重圧により追い詰められ、身体的症状に悩んだ末、2010年、精神的な負担を理由に会社を休職、心療内科へ通うことに。
休職期間中に出会った整体師の元で新しい道(マッサージ師)を目指すも、挫折…特にやりたいこと、やれることもなかったので転職せず復職するため作業訓練施設でリワーク活動をして社会復帰における復職準備性を整える。
その後、抑うつ状態は寛解されたが入眠困難はつづき、将来への焦りと不安から抑うつと睡眠障害を抱えたまま2013年に職場復帰。
その後、安定した正社員を手放すことができず心療内科でカウンセリングと薬物療法を続けながら会社と関わっていた。
それから5年後の2017年、パワハラにより自尊心は木っ端微塵に砕かれ精神は完全に崩壊。再度、就労支援施設へ行くも周りとの考えにズレが生じ施設へ行く気力もなく人間不信となり、周囲から完全に孤立。
社会の流れから離れ、孤独という自由を選択。会社に復職した大きな理由は家族を安心させたかったから、周りと合わせ普通の生活がしたかった。そう、他者が基準だった。
これからは自分がどおしたいのか、他者の意識ではなく自分の意識を優先して生きていくことを決意。しかし40代での休職期間はまさに、生き地獄。周囲の目、両親の不仲、家族として機能不全で心を痛め、精神障害者となり、自己肯定感を下げていった。
しかし、ライフワークであるリフティングは今日までやめずに続けている。再起をはかるという考え方を手放し、自分らしく生きるためにできることを一つずつクリアしている。