わたしとは、
私(し、わたくし)は、仕事場などの社会的集団の中における人間の属性と対比して、一個人としての属性を示すときに用いられる言葉である。Wikipediaより
社会的集団としての一個人として、いまの私について少し書いてみます。
私はIQ75(境界線の範囲内)頭が良いわけではありません。少年時代の私は塾やそろばんに通っており、暗算なども普通に出来ていました。
しかし、毎日やらされる勉強は数字によって良し悪しが測られました。否が応でもテストによって競争させられ、順位が晒され、優等生と劣等生に分けられました。順位が低い自分は劣等生としてのレッテルを貼られました。そんな生活が心底嫌になり数字が嫌いになりました。
それから出来ていた計算が苦手になり、社会人になっても簡単な計算を頭で解く事ができなくなってしまい、算数ができない自分を隠しながらの社会生活は本当に辛くて苦労しました。
しかし、できる事もたくさんあります。精神的な障害は抱えていますが、車の運転もします。家族や周りには理解されませんが、今もこうして精一杯、死にたい気持ちを抑え生きてます。
私は孤独で自分の事だけしか考えてないように思われてしまいますが、周りを助けたいという気持ちもあります。今はスマホなどを活用して色んな人と繋がりを持つ事ができ、クラウドファンなどで同じ志を持った人たちを支援し応援できたりします。
だから、行きたくもない会社に行って周りに迷惑をかけて惨めな思いをしてお金と安心安全のためだけに動かなくても社会貢献はできます。
本当に便利な時代になりました。アルファベット社、Google、Instagram、などの通信産業の発展に心から感謝です。
テクノロジーをうまく利用して行けば表現の幅は無限に広がって行きます。誰もが表現者として成功できるツールが整っています。
私はコミュニケーションはあまり得意なほうではありませんが、「今を出来る限り楽しく生きよう。自分は他者と比べると普通ではないところもあるけど、それでも良い。」そう思っています。これが私自身であり、普通では味わえない経験から喜びがを感じる事もあります。
過去の私に今の私がアドバイスするなら、「何でも良いから興味を持つこと、興味をもったらそれを続けて自分のスキルとして活かして行けば良いのだよ」と言うでしょう。
自分らしさを大切にしつつ、他者を気遣う誠実さを忘れずに…キーワドは、自他ともに幸せであること。