仕事は頑張るがプライベートを大切にしたい。頑張りすぎてうつになって動けない。休職している。あまり働きたくない。就職しないで生きたい。住所不定無職でもいい。
そんな経済成長に同調できない老若男女が、企業戦士たれ!という同調圧力のなかであがき、仕事に対して後ろ向きになっている。
もともとは良い仕事がしたい。人の役に立ちたい。尊敬されるような仕事がしたい。と頑張れた時代もあったのだろう。
しかし、長時間労働によって消耗し、年齢とともに蚊帳の外へ追い込まれてしまう。
ある人は覚悟を決めて独立起業しひとりで会社を立ち上げる人もいる。
みんな心のなかでは若い内に社会活動から離れ、独自のライフスタイルを持ちたいと考えていることだろう。
世間体を気にして常識という仮面を被り、企業に成長と活躍の場を求め、
安定した給料と安全な暮らしを得るため、必死に会社という組織にしがみつく。
しかし、年齢とともに増える仕事と責務により容赦なく削られ、
やがて戦力外通告を受ける。そして働きながら病巣を育てていた事に気づくのだ。
組織に属する以上、ときに利益のため人をコケにしたり、上司からの高圧的な命令を聞かなければならない。
会社からの乱暴なノルマによって次第に心は傷つき汚れ乱れ乾き居場所を失っていく。
そんな傷ついた鳥たちは、社会という荒野が広がる空には戻らず、
ローカルという新しい希望の空へ飛び立とうとしている。
昔よりはるかに便利になった世界で人は働かなくても生きられる時代になるはずだった。
しかし皮肉なことにたいていの仕事は減るどころか増えるばかり。
どうしたわけか忙しいうえにいろいろな事にお金を消費させられ生活はなぜか貧しい。
働かなくても生きられる時代はまだまだ先の話しだろう。
若きリーダーも生産性のロボットとして都合よく支配され潰されていった。
「働いたら負けかなと思っている」これは昔からニートの常套句だった。
そのニートや引きこもり、休職者こそが今の時代を謳歌している。
それを肯定しようものなら多くの批判が届くことも想像できる。
たいていは、あまり働かなくても生きられる時代になったのにそれをしない。
なぜか?それをしたら肩身がせまくなり、惨めになるからだ。
惨めな時間を長くもってしまうと、人の脳は枯渇し、思考は完全に止まってしまう。
働こうとしないことが悪いわけではない。働きたいと思えない、真面目に働こうとしてる奴を徹底的に叩きのめす、この社会の構造に腹が立つのだ。
いつの時代も、働かない人は悪であり。働かなくてはならないという同調圧力からは絶対に逃れられない。
仕事が苦痛ではなく、仕事が好きで仕方ない人は同調圧力などかけてこない。
なぜなら人の事なんか構っていられないからだ。
しかし、大半の人はお金のため生活のため否応なしに働いていることだろう。
適度に働き、適度に便利。という落とし所を自分なりの価値で決められ、
それを実行できる構造があればいい。働く人にとって働き過ぎないようにする勇気は、いい仕事をするためにも必要なのだ。
そして、仕事をしない時間も大切だ。
俺が工場で働いてた頃は、そんな価値観を持てるはずもなく、
成果主義の会社で目標を達成できない苦しみや葛藤でもがき、
生産性のピラミッドに属しながらなんとか会社にしがみつこうとあがいていた。
正社員であることが安定であり、そうした生き方しか知らなかったからだ。
今は自力で眠れなくなり、精神に異常を感じ、行き場を失ってしまった。
これから会社を辞め、無駄を減らし、必要以上は稼がないと決めた。
いや、稼げないことに理由をつけて安心したい自分がいるのは確かだ。
しかし、これでは満たされない。一度しかない人生、悔いのないようにしたい!
なにかコンセプト動画をつくりたい。なんとか自分を保っていたい。
歳だからという理由で自分を表現することを諦めたくないんだ。
だけどなにかしら社会と、人と繋がっていないと生きている理由がもてない。
焦りは消えないし、消せない。親とのつながりがある限り。
自己否定は続くだろうし、無にはなれない。本当はすべて手放して、
新たな環境へ移りたい。
無理に職を求めなくたっていい、だけど探しつづけることはやめてはいけない。
いま、命があり、生きているということだけで意味があるんだ。
人間は生きてることに価値があるんだ、あなただってそうだ。
そういえば、ある人がこんな事をブログに書いていた。
働き方改革、は、働かせ改革だと、まさにそうだと思った。
会社の要求をクリアできなければ、真面目でいい人ほど、成果が得られるようにと頑張ってしまう。
長時間労働や休日出勤が増えることは目に見えている。結果として、うつ、健康喪失、自殺も増える。
タイムカードでしっかり管理された社会はまるで刑務所のようだ。
働き方改革は、経営者や投資で儲ける人のための“改革”であり、
国は労働者の人件費削減を虎視眈々とたくらんでいたそうだ、
働き方改革というからには、働く人の立場に立った改革でなければならないが、まったく逆だったというのだ。
だけど、年功序列制度や親や知り合いのコネクションでおいしい立場にいた人もいた。
そういう輩を排除して、平等で公平な社会になる改革ならばそれは良いことだろう。