自分は何のために生きているのか?人は何のために産まれてきたのか?
これは全人類が共通して持っている想いのひとつだと思います。
簡単に言ってしまうと、人間は体験と快楽をするために生まれてきたと言えます。
体験と快楽をするためには行動が必要で、行動する中で、生まれながらに制約条件があり、自分と他人を比較する物差しがあることに気づきます。
親、国籍、家柄、性別、性格、仕事、地位、容姿、体力、学力、学歴、年収、道徳、法律
など…
そして常識と呼ばれるものには必ず恐れと不安がベースにあります。
先進国と後進国、高学歴と低学齢、金持ちと貧乏人、美人とブス、有罪と無罪、
この世界は「ある」か「なし」の二元性で分けられていて、失うことに対する恐怖を強く感じるよう設定されています。
例えば、
挨拶しなければ社会になじめず疎外されるという恐れ、
毎日学校へ行かないと親や先生から認められず人格否定される恐れ、
学校の成績やテストの結果が悪いと劣等生の烙印を押されるという恐れ、
友達を作らなければ仲間外れにされいじめられるという恐れ、
いい会社に就職しなければ人生が詰み、世間からも評価されないという恐れ、
いつまでも結婚しないと人として社会人として問題ありだと思われる恐れ、
独身のままだと将来は孤独死かも知れないという恐れ、など。
安心、安全の裏には、こういった恐怖がベースにありました。
歴史上、人間同士で殺し合い、土地を奪いあう時代がありました。
体験や快楽をしたいという欲望がある限り、人は奪いあい争いあうことをやめません。
そんな不安と恐怖だらけの世界も、先駆者たちの活躍により、ライフラインやインフラが整うことで暮らしは豊かになり、生きやすい環境を手に入れました。
親もまたその親も、群れの中で生きるルールや制限を教えら、秩序が保たれるようになり、今の公平で平等な世界があるのです。
ではありません!
前述したように、人間に欲望がある限り争いはなくならないと思います。
物質的には豊かになっても、人の心は一向に豊かになっていません。
いまだに我さきにと平和を理由に余計な情報を撒き散らし争っている人がいます。
人間に違いを生ませ、欲を与える最たるものの正体は、貨幣制度です。
紙幣が誕生したことで、仕組みが複雑になり、価値の交換が公平に行われないシステムが金融市場で行われています。
一部の人間が富を得るため大多数の人間に中間層と貧困層という違いを生ませ争わせる。
こう言ったピラミッド構造ができることで一部の人間が人間を操作しメディアを使い消費を促し、スポーツ、スクリーン、セックス、ゲーム、というキーワードを使い、真実から目を逸らせようとしています。
いま世界を騒がせているウイルスも真実から目を眩ませるために仕組まれたもの。
どこへ行ってもマスクがない。マスクがないと死ぬかも知れない。
そんな人間の心理を過剰に反応させ、人間同士、国同士で争いを煽り合う。
今こそピラミッドから抜け出し、物質世界から自然世界へ移動する時。
気づこう。