狂った社会は、俺を「普通の人間になれ」と矯正する
孤独だが、心優しきアーサーが、なぜ、悪のカリスマに変貌したのか?なぜ、悪にならなければならなかったのか?この映画は1人の男がどん底から抜け出そうと葛藤する衝撃的な作品です。
アーサーは母からの「どんな時も笑顔で人を楽しませなさい」という言葉を胸に、都会の片隅でピエロの大道芸人として労働をしながら母の面倒をみる生活貧困者でした。
しかし、生活も仕事も上手くいかず、やり場のない気持ちに押しつぶされていき、次第に社会に対する敵意をとともにジョーカーへと変貌していきます。
アーサーは「笑い病」を抱えているのですが、前半から後半になるにつれ、悪が目覚めていくほどに病気の症状が変化して、無くなっていくところが印象的でした。
音がとても生々しく迫力があり、特に後半のあるシーンでの臨場感は凄いの一言です。エンドロールを見終わった後も、しばらく余韻が残っていました。
ネットの反応は「殺されて当然」「主人公が可哀想」「見たあとスッキリした」と、人それぞれ。これはみる人を選ぶ映画であり、見た人が歩いてきた人生で全く意見が変えわる作品です。
心の病を抱えた者にとって一番怖いのは、「世間の目」
そんなアーサーの社会に怯える姿は、今の自分と重なるところがありました。優しさをすべて否定され、病人であることをコケにされ、笑い者にされた時、僕は理性を保っていられないだろう。
そんな時に、心のよりどころはあれば、守りたい人がいたら、救いである物を持っていたら、満たされる時間があったら、誰かがいてくれたら…どれだけ救われただろう…
僕の鬱が酷かったとき、人の目が気になって身動きが取れない時期がありました。カーテンは開けられないし、体はだるくて、気力もありませんでした。
そんなとき、あの頃の自分に言ってあげたい言葉があります。
「大丈夫、全部うまくいくから」って、もしもいま、あなたの大切な人が辛い時期にあるのなら、短い言葉で、勇気づけてあげてください。
僕は、映画俳優のドウェイン・ジョンソン氏のこの言葉に救われました。
「信念を糧にして持ちこたえるんだ」痛みの先には必ず良いことが待っているから…
苦しみは長くは続きません。だけど、
苦しかったとき、依存先があればどれだけ良かっただろう。依存しすぎるのは良くないけど、依存先は多い方が良いと、この映画を観て感じました。
ジョーカーを観て学んだこと
僕の半生は、ジョーカーのように吠えることもせず。自分の本当の気持ちにフタをして、出来るだけ周りに合わせ普通でいようと生きてきました。
大体の人達は、普通かそれ以上を求められたでしょう。なるべく親の言うとうりにしてきました、先生の言うことを素直に聞きました。主張を抑え、友達の意見に合わせてきました。
自分というのはもともと無くて、自分とは、与えられた環境や人間関係の中で自然に形成されていくものだと思ってたし、周りと合わせて生きていた方が楽でした。
でも僕は普通の人間にはなれませんでした。学生時代からテストは赤点だらけで、成績は学年で最後。ゆういつ、得意なことはサッカーボールを蹴ることでした。
そんな僕がこの映画を観て、伝えたい学びの言葉があります、それは、
みんなちがって、みんないい。
誰かのコピーはやめにして、オリジナルの人生、始めてみましょう!