今日は心療内科でカウンセリングの日。病院にはかれこれ10年以上は通っている。
僕を担当してくれるカウンセラーは年明けの仕事始めでお疲れの様子。
僕はクライアントとしてカウンセラーの成果に貢献できた時期もあった。
今では生存確認のため、生活の事や毒親との事など、状況報告のために通院している。
病院の窓口では医療事務員のたび重なるミスに怒りが収まらない患者がいた。
精神科の患者は依存体質になる傾向にあるが、今の日本の社会構造では仕方ないこと。
社会からはじかれた人に対する理解はあっても、社会の目はいまだ冷たい。
疎外感は怒りに変わり、怒りは働く人たちの対応に向けられる事もある。
働く人に安心、安定、保証はあっても、仕事は作業的で事務的。
そこに成長はなく、生産されるのはネガティヴな思考を育てた患者だけだ。
物は溢れていても満たされて働いている人は本当に少ないと思う。
働くとはそもそも何だ?
人が動くこと。人の為ではない。
自分の得意とする商品があり、セールスを知ればインターネットでお金を稼ぐ方法はあり、お金を貯めれば投資で増やせる。
学校ではお金を使うと増える仕組みについてはなぜか教えてくれない。
お金は汗水垂らした対価として得られるものだと教え込まれる。
様々な書類や制約条件によって、システム化された世界で皆、お金の奴隷になる。
嫌な事を頑張る事が美徳と教え込まれ、そこから抜け出しても虚しさと孤独との闘い。
僕はただ、やりたいことをやりたいようにやりたいだけやるだけ。
やりたいことは何?
リフティング。
なぜリフティングなの?
リフティングが上手くなりたいから。
上手くなるとどうなる?
自分に自信を持つことができる。
自信を持てたらどうなる?
それを変幻自在に表現することができる。
表現するとどうなる?
楽しい。
楽しいとどうなる?
楽しいを発信するようになる。
楽しいを発信するとどうなる?
価値になる。
なぜそれが価値になる?
死にたいと思う人が、嬉しい、楽しい、気持ちいい、を発見するキッカケになり、遊びに没頭する事こそ人生の喜びである事を知る。
遊びは成長、成長は喜び、体験という商品は物質を減らし、調和をもたらす。
環境問題は自慢気に暗い顔を子供に見せる労働者の満たされない心がつくりだしている。
世界を変えなくていい。やりたいことを探しやりつづけろ!見つからないなら探し続けよう!僕が、あなたが何歳であってもいい。
やりたい事をやる!ただそれだけ。