自分の中に光を持っているのに、「私はダメかもしれない」ってね。それはせっかく懐中電灯を持ちながら眼をつぶって歩くようなものです。尊いものを持っているのにそのありがたさに気づかない。贅沢ですよ。
これはミュージシャンでありブルースの女王と呼ばれた故”淡谷のり子”さんの言葉です。
僕が少年だった頃、お茶の間でこの方を見たとき、偉そうな偏屈ババアめ!と、嫌悪していた記憶があります。
淡谷のり子さんは当時、ものまね番組の審査員として有名で、辛口評論家でした。
常にブスッとした表情をして、笑わないスタンスが彼女の個性であり、売りでした。
当時はその我が道を行く感じが受け入れられず、偏見を持っていました。
だけど、時折見せる微笑みに愛情を感じたりもしました。
人は見かけによらぬものです、僕は人を外面だけで判断しがちな人間でした。
周りが、この人はこうだから嫌いだ、と言っているのを聞くと、僕もそう思う!といって
他人の意見に同調し、一体感を満たしていました、そうなるのが自然な環境でした。
しかし、いろんな経験や場面をたくさん見たり聞いたりしていくうちに、
自我に気づき、自分の気持ちに蓋をして生きている自分に嫌気がさしたんです。
でも、自分の気持ちに素直に生きようと自分の気持ちを表に出そうとすると、
そうじゃない!それじゃない!それは違う!と、否定されました、「じゃあどおしたらいいんだ?」と、疑心暗鬼になりました。
自分が思うように生きられないのは、環境がわるいから仕方ないと、諦め、誰かのせいにして生きてきました。
だけど、いまは昔とは違います。
令和の時代は恵まれすぎていて、情報が多すぎて、何を信じたらいいのか、何を目標にすればいいのか、何が本当なのかわからず、動きが止まってしまいます。
昔は大変な時間をかけて光を生みだしていました、いまは1秒で光が手に入ります。
光を照らす懐中電灯が、今のテクノロジーであるインターネットだとしたら、
欲しい情報は常に自分たちの手の中にあるはず、気持ちひとつでなんでも手に入れられるはずなのに、肝心な感情が満たされない。
不安や恐怖にばかり敏感になって、本当にやりたいこと、なりたい自分がわからない。
知識が足りない?経験が足りない?
足りないものに目を向けるのではなく
今あるものに感謝して
それをどお活かすか。
尊いものとは何か。それは
人として与えられた命。
時間という概念もお金という概念もない、ただ人として生まれることができたこと
苦しみ、喜び、怒り、快楽。
僕はこの尊き肉体を使ってあらゆる感情を生み出していこうと思う。
そして内面を磨き、深みや味わい深い人間でありたい思う。