私が人生に何かを求めるのではなく、人生が私に何を求めているのか?これを問い続けることが、自己超越の生き方である。ヴィクトール・フランクル
昨晩、友人の愚痴を電話で6時間、聞き続け、氣が滅入ってしまった。私と友人は他者と比べて満たされない欠乏感を共有している。
金が…親が…国が…どうせ…繰り返される否定的な会話、私は友人の話を聞きながら、自分の主張を控えることに徹した。
私たちは欠乏感の正体を突き止めている。だからなおさら、欠乏感を埋めるため、欠乏感の理由となる人達を攻めるのだ。
解決策は、、ない。現状起きていることを受け入れるしかないのだ。解決策は相手を赦し、自分を許す事、でもそんなに簡単じゃない。
前記したヴィクトールフランクルの言葉は「ありのままの人生を赦す」という捉え方ができる。最初、私には理解できなかった。
でも、人生に、ではなく、人生が、にすると、今がどんな人生でも受け入れる生き方になり、ありのままの自分を受容する生き方になる。
人生が私に何を求めているのか?人生は趣味レーションゲーム。それに没頭することこそ、人生からの指令なのだ。