先ほど国連でスウェーデンの16歳の女の子、グレタ・トゥーンベリーさんが地球温暖化について怒りのスピーチをしたことが話題になっています。
グレタさんの主張は勇気ある行動であると賞賛される一方で、批判的な意見も多く上げられ、彼女を取り巻くムーブメントは世界中で拡張してます。
メディアでは、「偽善的、美辞麗句が並んでる」とか、「大人のあやつり人形」とか、「自分はCO2を出して他人だけはやめろってヒスをおこして地球の終わりを絶叫する子供のレクチャーはいらない」とか言われています。
何も知らないで理想ばかり掲げている親世代が、子供を利用して、殺意にも似た表情をむき出しで公の場に出されたものを見せられる。
こういう負の部分は非常にエネルギーがあり、これでは正と悪を分離させてしまうのではと思うところがありました。
こうした問題に注目が集まると、人々は自分の意見を正当化するため、怒りと憎しみといった負の感情を抱きやすくなります。
そういった人々の負の感情を煽り、情報発信で再生数を稼いで利益を得ている人もいました。今は規制されてきたのでそういう人は淘汰されていますが。
負の感情というエネルギーの波に乗ってしまうと、気持ちいいです。はじめのうちはね。
負に浸かっていると、徐々に疲れていき、そういう負の感情でしか快感を得られなくなってしまいます。友達との愚痴の言い合い、馴れ合いに似ています。
やめられないとまらない。カッパえびせんならぬ…メディア洗脳というやつでしょうか?僕はテレビも好きなのでメディアを全否定しませんが、
何事もほどほどにしてあるときは距離を置いた方が賢明だと思います。負の意見も時には必要だと思います、負がなければ正は生まれないからです。
負を小さくして、正を大きくするイメージが必要です。
陰と陽が統合し、調和した魂を持った感覚を忘れずにいたいです。
それはさておき、どおしていま、環境問題なのか?大人も子供も関係なく、理解しようとすることが重要なのに、この問題に感情的だと将来、子供も大人も暴走してしまいます。
環境活動家として声を上げる勇気は素晴らしい事ですし、学校を休んでまで活動する意義はある行為だと思いますが、感情論だけでなく、冷静さも必要でしょう。
感情的にキレなくては、国を統括している利益優先組のリーダーには伝わらないのかも知れませんが、それでは敵をつくり敵が喜ぶだけです。
要するに誰かの思う壺な訳です。大きくは言えませんが。
問題を定義することが一番難しいのです。一番あかんのは無関心でいることだと思います。地球温暖化が嘘で誰かの利益のためだったとしても環境問題に目を向けることは正だと思います。
しかし、環境問題に声を上げれば社会性が問われます。
人は「何者か」であることに非常に敏感に反応します。権威性がないのに表に出ると必ず打たれますし、叩かれます。
社会的弱者であってもそうです。障害者のくせにと、私も叩かれましたし、悔しい思いを散々してきました。対立することなく生きていくことが、理想なのでしょう。
答えはみずからが問題の核となるゴミに対して消費しない生活を意識してやることだと思います。ですが、今の生活レベルを落とす覚悟はありません。
車は必要ですし、スマホも、洗濯機も冷蔵庫もプラスティックも手放せません。エアコンのクーラーもヒーターの使用も、
生活のあらゆるものが発電のために石油を燃やしていますから。
徐々にでいい、まずは目の前のことからはじめてみます。