労働とはなんだろう?労働者の過去と今
夕暮れどきの帰り道、クルマで信号待ちをしているとき、
作業着を着て工場から帰宅する会社員の姿を目にした。
そいつの目は死んでいて、疲れきったロボットのように無表情だった。
まるで過去の自分を見ているような気分になり、胸が苦しくなった。
帰りたいのに帰れない年功序列制度の辛さ
働けど働けど生活は痩せていき、収入を増やしても働く時間が増える。
年齢と共に重圧がのしかかり、一向に生活は豊かにならず、
ストレスで物を溜め込んでいった…
気づけば物に囲まれ、身動きがとれなくなっていた。
8年前の僕は生活を維持するための意欲を完全に失い、部屋はゴミで埋め尽くされていた。
自分の健康を犠牲にした状態。「セルフネグレクト」になりそうだった。
孤立した原因
あの時は、まだ「なんとかしたい」という思いがあり、心療内科のカウンセラーに助言を求める意欲があった、だけど何かキッカケがないと動けない自分がいた。
1人の部屋は手に負えないほどのゴミで溢れていた、自分のダメな部分を誰かに見られることが怖くて、誰も部屋へは入れたくなかった。
そんな自分が哀れで、自信がなくなり、周りからどんどん孤立していった。
上司から屈辱的なパワハラを受け、会社から逃げ出してから半年が経過した2017年の夏頃、劣等感を怒りに変え、勢いでなんとか自力で物を減らすことができた。それまで8年かかった。
しかし、クローゼットの中に押し込まれている衣類や書類が散乱していて、なかなか捨てられなでいる。肝心の「泥出し」は2019年9月の時点で解決に至っていない。
セルフネグレクト状態になるとどうなる?
一時的な抑うつ状態であれば、ゴミは減らすことができるが、セルフネグレクト状態になると電気・ガス料金の支払い、ゴミ出しなどを自力で行うことが困難になる。
吐き気、めまいなどの身体的症状が続き、自力で眠ることもできず、周囲の助言すらも負担になった。まさに生き地獄だった。
親には会社を再休職したこと隠し続け、親との関係を拒否することもできなかった。
「もういいや、これで…」
「時間が解決してくれるさ…」
そんなあきらめにも似た感情があった。
回復することを放棄することは、自分自身を放棄することと同じ行為だ。地域・社会・家族との関わりを自ら断ってしまうことで孤立し、危険な状態におかれていた。
セルフネグレクトになる原因
「過度な仕事」が孤立を招く原因であり、親を心配さたくない、親や他者から「大丈夫なのか?これからどうするんだ?」と言われることが恐怖になった。
仕事から逃げた罪悪感と自己否定に苛まれ、苦しんでいるところに「これからどうするのか」と、他人からマウントをとられたときは本当に追いこまれた。
「これからどうする」「どうしたい」は、本人が決めることであり、たとえ親や友人であっても介入すべきことではない。
しだいに身体機能も低下していき、吐き気がおさまらず、目の前のゴミに圧倒された。最悪だった…もうあんな経験は二度としたくないし、させたくない!
豊かさとは負担を減らし選択肢を増やすこと
孤立状態にならないためには、働く時間を減らし、収入を減らすことが非常に大事だ。
心を亡くしてまで誰かのために身を粉にして働くことが尊いことか?
「忙しいことはいいことだ」と僕は教えられてきたけど、本当にそうか?
人のために動くことが働くことなら、人の為と言葉のみだと偽りとなる。
あなたの仕事は自己の成長の為にある。
「家族を不安にさたくない、家族を食わせていかなくてはならない」昭和の人たちは家族のため、家族を支え、守るために必死で働き、今の社会をつくってくれた。
親世代には感謝しきれないほどの敬意をもっている。
でも、今は昭和ではなく、平成でもない、令和の時代だ。
「働くことを減らして収入を減らすだと?それは独身のお前だから言えるんだ!俺には子供が2人もいるんだ!これからお金が…」
なんて言ってくる奴がいたけど、言いたい奴には好きなだけ言わせておけばいい。
俺は自分の人生を生ききる。
今、家族に恵まれてる人だって、いつ「孤立」するかわからない時代。
だからこそ、自由な時間を味わうために行動する必要がある。
労働から離れ、「仕事」とは何かを個人が考える時期が来ている。
仕事とは、お金のために自分が犠牲になることではない。自分が心豊かに生活していくためにある。それが結果的に家族の幸せ、社会の満足へとつながるはず。
本当の豊かさとは?
自分を大事にすること。
僕と世界の課題は、捨てる、減らす、手放す。
物を減らし、
型にはまらない生活を目指そう。
今。人間としての選択肢を増やす時。