Shining-Stones:いしくれブログ

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心配のタネは恐怖の実へと育っていく。

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今日も実家で母の主張を聞かされました。

それは母の「助けて」というメッセージのようにも聞こえ、僕を焦らせます。

母「いま仕事は探してるの?帰る気はないの?近くに引っ越したら?」

「これからお金無いでしょ?会社辞めるとお金かかるよ?仕事は変えたほうがいいよ」

「動かないと何も変わらないのよ?私のせいばかりにしてるみたいだけど」

「私だって鬱よ!こんな身体になるまで我慢してこの家を必死で守ってきたんだから」

「この家のことちょっとは考えてくれないと!これからどおするの!?あなたにはこの土地を守っていってもらわないと」

あのさ、今、おれ、頑張ってるよ。

「頑張ってるならいいけど」

そのあと、

「これ運んでちょうだい!あれ、片付けてちょうだい!」

病気が重くなってしまった母の焦りや怒りが僕に向けられました。

そんな母の口撃を食らってしまったのは僕が本音を伝えたからです。

僕は今まで母の機嫌をとるため、安心させるため自分の気持ちに嘘をついてきました。

それは自己肯定感を下げられたくなかったから、自分を守りたかったから。

できるだけ母の顔色を伺って、母をヒステリックにさせず、母に合わせよう。母を喜ばせよう。と生きてきました。

母には笑っていてほしいし幸せでいて欲しい。悲しませたくない。

そんな良心が優先してしまい、本音を押し殺し母に合わせようとしてきました。

しかし、自分の感情に嘘をつく行為は長期的に自分を殺していくだけでした。

もう嘘はつきたくない。魂はずっともっと自由でありたい。

今の僕は親を心配させ、残念な気持ちにさせてしまいます。

親の期待に応えてやれないという悲しみと絶望感があります。

だけど

感情的にならず、息子として両親に本音を冷静に伝えることでしか、もう

自分の人生は拓けていけないと思いました。

両親は家を守るためにいつも祖母の言う通りにしてきました。

毎日、朝から晩まで家のために我慢をして、辛そうに生きてる親を毎日見てきました。

そんな親の姿を見てきたので、せめて老後は人生を楽しんで欲しいと思っています。

そんな安心した親の姿を見ていたい。それが僕の心からの願いです。

しかし、今の僕の状況が、老後の両親を不幸にさせているようです。

いまの僕は自分を優先したい。自分勝手でいたい。できるかぎり今を楽しく生きたい。

誰にもとらわれなず、魂が自由になるために生まれてきたのだから。

親の使命は家を守ることであり、自分たちの家を受け継いでほしいと考えています。

そしてこの家を継ぎ、守っていって欲しいという願いがあります。

それは親としての役割であり、愛情であり、本当の想いなんだと感じます。

実家に帰り、父と母の機嫌を取り繕うことが僕の仕事になっています。

何もかもが嫌になってしまいそうです。

母が我慢して仕方なく作った晩飯を食べます。テレビを見てみんなで気を紛らわせながら。

そんな食卓の空気を守る意欲も失せました。

母が父に対して吐いた暴言で父が萎縮する愛憎劇も見たくありません。

今日はご飯はいらない。

と言っても母は

「せっかく作ったんだから食べなさい!」と言います。

今日用事があるからお風呂はいい。

と言っても「せっかくお風呂入ってるんだしもったいないから入っていきなさい!」

と言います。

家の母は、過干渉型であり、支配型の毒親タイプだと思います。

そんな愚痴、押しつけ、感情的にキレる空間に長くいると自分が何者なのかわからなくなります。もう自分の感情を殺してしまったほうが楽なのかも知れません。

これじゃ家にいても幸せは感じられません。抑うつ状態はさらに悪化してしまいます。

そして月曜から火曜は父がいないので犬を散歩に連れて行って欲しいと頼まれました。

これはSOSだと感じます。

母の病気も良くないので月曜の夕方から火曜の朝は僕が犬の面倒を見ることにしました。

結局、金曜、土曜、日曜、月曜、火曜、と5日も実家に顔をださなくてはなりません。

核家族なのでこれからこういうことが多くなっていくと思います。

家族としてチカラになれるならと僕が決めたことです。

長男として機能していない僕が、両親に対してせめてもの償いとしての行動です。

それは愛なのでしょうか?

今の僕の本音は、

できるかぎり離れていたい。

です。

完全に分離するわけではありません。お互いにとって良い距離感があるはずですから。

これから実家と良い距離を保ちつつ、行動できるよう環境を変えていくことにシフトしていこうと思っています。

まずは僕の精神を安定させないといけません。しかし、

自分のことすらわからなくなりそうです。

本当はどおしたい?どこへ行きたい?

僕は過去や未来よりも

今、を満たしたい。

今、を安心して過ごしたい。

ただそれだけ。

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