今日も昨日に引き続き、私の持っている思想、精神世界について書いてみようと思います。まず、私が思い描く理想の世界は…
「命あるすべてから悩み、苦しみ、恐怖が消え、世界が光で満たされること」
光とは何か?光とは、科学的に、紫外放射、可視放射、赤外放射を含めた光放射だと言われています。光は太陽がエネルギーとして形になったものだと考えられます。
精神的、宗教的、霊的な見方で光を説明するなら、光とは波動であり、波動とは粒子である。その粒子は意思を持った細かく小さな物体であり、素粒子とされています。
素粒子→原子核→原子→DNA→人間→大地→地球→太陽系→星→銀河→宇宙
宇宙と素粒子は密接な関わりがあり、光はすべてとつながっています。
つまり光によって人は生かされているのです。光とは有り難いもので、光について調べると本当にいろんな情報が出てきます。
その光を神として崇める人たちもいます。光について考えた時、やはり神を連想します。私は神という言葉に違和感があり、神を妄信することを恐れた時期がありました。
それは神を崇拝している人の意識に取り込まれるのが嫌だからでした。神という言葉を利用し、絶対的な支配者になっている人がこの世にはいます。
私は神という存在を今だに信じていません、なぜなら自分自身が創造主であり、神の分身だと思うからです。あれ?神の分身?そう、神とは私たち一人一人の存在そのものです。
この宇宙に住むものはすべてが平等の生を持っています、神という者がいるならそれは上下関係のある不平等になる。よって神など存在しないのです。
この地球でそういう存在を説明するなら、地球人は誰かの目的のために作り上げられた生命体と言っても過言ではありません。
誰かがこう言っていました
「そもそも宇宙に神なんて言葉はない」
神とは、人間の弱さが生み出し、偶像視したものかも知れません。
この不平等と苦痛に満ちた世界から解放されたい、誰でも何かにすがりつきたい。救われたいと、一度はそう思う時期があります。
そんな時に道しるべとなる存在がいれば、それは人間にとって大きな救いとなります。でも本当の救いは、自分の魂のなかにあるのだと思います。
魂は宇宙であり、それは自由でなければならない。
もしかすると本当に大きな光の中に神のような意思が存在してるのかも知れません。
その光の存在が私たちに伝えようとしていることがあるとするなら、
自分の中にある光を意識し、その光を解放すること。あなたのなかにある光が希望となり、すべてを苦しみから解放するキッカケになる。私たちは光の存在として生きよう。
人は神ではない、神も絶対的な存在でもない。ありのまま、あるがままを受け入れ、
今を精一杯生きよう。どんな状況に置かれていたとしても、自分の存在を肯定していこう。