国民が自粛することで、二酸化炭素が半分になって、去年より寒くて空が澄んでいるように感じる今日この頃。
衛生面が保たれたり、交通事故死が減っていたり、良い側面がある一方で、様々な社会問題が起こっています。
資本主義において、社会問題の始まりは、3Kでした。
3Kとは、過酷な労働環境である、
危険、汚い、キツいのこと。
僕が職場で経験した新3Kは、
厳しい、給料安い、帰れない、でした。
いまの時代の3Kは、
健康、金銭、孤独、と言われています。
健康で長生きしたい。
安心して暮らせるお金が欲しい。
孤独を感じたくない。
この3つが今、感染拡大によっていま、持てなくなっています。そして全国に緊急事態宣言が出されるなかで、
外出自粛、というキーワードによって意見が2つに分かれ論争になっています。
経済的な理由から自粛したくてもできない人がほとんどで、自粛したくてもできない人に向けて、
人に自粛しろ!という声が上がっている。
あるタレントは、
持っていない人たちに持っている人の考えを強いるのは暴力ではないか?と発信していました。
自粛できる人、自粛できない人、批判してアイデンティティを確保したい人、それぞれの主張があります。
自粛する=正義。
自粛しない=不義
自粛したくてもできない医療従事者や小売業者=大正義
このような二元論の世界では、
一方を採用し、一方を排除しようとします。
人間はなんて下等な生物なんだろう、と、投げやりになる前に、ヘーゲルの弁証法、アウフヘーベンしてみます。
ヘーゲルの弁証法、アウフヘーベンとは、
問題を解決するとき、対立する2つの事柄について両者を切り捨てることなく、より良い解決方法を見つけ出す方法の事です。今回の問題は
外出自粛する正義。
外出自粛しない不義。
この2つが共通するキーワードを考えてみます。
すると、
「感染しない程度の距離を置いて、感染させない程々に自粛する」という答えが導き出されました。
つまり、自粛とは、ソーシャルディスタンス。
「社会的距離」をとることだと言えます。
ソーシャルディスタンスとは、
社会距離拡大戦略です。
社会距離を置く最大の目的は、
「人と接することを避け感染拡大の可能性を減らすため」
「医療崩壊を防ぐため」
の2つになります。(表向きは)
今は離れていてもあらゆる方法でビジネスができ、人と繋がる事ができます。
全ての業種がそのような形態をとることはできませんが、世界は歴史を繰り返しながら徐々に変わって行くのです。
いま、僕らにできることは、
程よい距離を置く事、
僕らは人との距離を詰めすぎました。
社会や世間体といものを軸として、
相手に対してこうでなきゃいけない!こうするべき!だからおまえはダメなんだ!と、
これからは個人が自分の軸をもって、オリジナルの花を咲かせていくようになります。
家族でも友人でも、人間同士のつきあいというものは、ぴったり寄り添っているより、或る距離をおいたほうがうまくいくのではないだろうか?by五木寛之
大切だからこそ、距離を置いてみる。皆、1人になって自分を整える事が必要とされています。
大切な人だからこそ、いったん離れてみる、すると1つの繋がりに依存しない新しい関係性が見えて来る!
大切なのは距離を保つ思いやり。ソーシャルディスタンスこそ、人間関係を円満にする秘訣だと僕は思います。