デジタル社会。インターネットの環境があればいつでもどこにいてもGAFAが色んな情報や物を瞬時に与えてくれる。
スマホなどのデバイスをうまく利用すれば、ビジネスとして活用できるし、他者に価値を与え、表現者としての活動もできる。
私自身、数年前からSNSを利用していて、最近は依存傾向にあるので、インターネットでの活動は制限するようにしているのだけど…
特に、GoogleやFacebook(Instagram)には感謝している。何故なら、このツールにより、素晴らしい人たちと繋がりを持てたからだ。
その分、沢山の資金を投じてきたが、それは良い循環を生み出していると言える。本当に素晴らしいサービスだ。
しかし、私がSNSを利用して他者に良い影響を与えられたのか?というと、そんな確証はない。数ではないが、フォロワーも少なく、変人として裁かれ嫌な思いをする事もある。
それもそのはず、スッチャカメッチャカな情報を文章にして晒すような事をしていたからだ。だけど、悪口を書くような事は無かった。
そんな私の思想や思考はすでに記録(データ)としてクラウド上に保管されているだろう。この石くれブログもしかり…
もしかすると、危険人物として、評価され、デジタルタトゥーに保管されてしまったのではないかと、疑心暗鬼になった事もあった。
それは何かのテレビ番組で、「人間選別」というキーワードを目にして、SNSで余計な事を発信したり検索するな!と、言っている有名人がいたからだろう。
でも、そんな心配は今は無い。むしろ自分という人間を表現してきてよかったと思っていて、これからも発信は続けるつもりでいる。
だが、インターネットサービスを利用している限り、サービスの提供元の不利益になるような情報発信は控えなければならないだろう。
遙か昔、mixiというコミュニティーで「露悪趣味」だ、と知らない人から注意を受けた事もあった。それも少しずつ改善されてきた。
言論の自由があるとは言え、承認欲求を満たすための情報発信は、これからも自制しなければならないと思っている。
自他共に興味のあるような投稿や発信ができるよう考えて行きたい。影響力はなくとも、生きた証をデジタルに刻んでいきたい。感謝と調和、バランスを持って。
とにかく、考える事をやめたくない!テクノロジーの進化によって、人は考えたり思考したりする事を苦と思うようになっている。
皆、諦めの境地に達している。思考を停止させ、上からの指示に従うだけになった。そんな人が多くなった気がする。そうするしか生きられない構造に…納得がいかない。
便利さが人に必要な不便を奪っている。わたしたちは、不便さを楽しむ為にこの世界に生まれてきたはず、余計な制約が増えすぎるたのだ。それを手放して行かなければならない。