5月が終わり、明日から6月がはじまります。気候的に苦手な時期で、体調や気持ちの面で落ち込んでしまいます。
ダークサイドの流れを断ち切るために、無理にポジティブなふりをして元気を出そうとしてもあとで苦しくなります。
だからネガティブを受け入れ、それが今の自分なのだからしょうがないって、我がままで生きれらたらいいな、
生まれたばかりの子供のようにね。
我がままとは、ワガママ(自分勝手)であることではなく、自分の心に素直に生きるということで、そこには責任と意思があります。
我がままでいるためには、反応せず、目的を持たず、問題を作らず、ただ感情を手放し、今を感じて生きる事だと思います。
しかし、手放す。というのは感情を持つ人間にとってつまらない拷問のようなものです。
人は群の中で体験や経験を通して他者に認められたり、成長を実感したい生きもの。成功や失敗を繰り返して生きたい動物なのです。
元々、人間の機能に設定された、したい欲、を手放す事は修行僧のような行為。
古代中国の思想家、孔子は
“上天のことは声もなく臭いもなし“
「天の仕事には言葉も姿もないが、その無為の中で大きな仕事をしている。人もそれにのっとるべきだ。」
と言っています。
これはつまり、自然の中で自然に任せて生きろ。中立であれ、ということではないでしょうか?つまり、人はいずれ、自然とともに暮らすようになる。
宇宙の中心へ戻って行くのだと思います。