現在、43歳、失業者でもなく、生活困難者でもない、長期休業者の僕は、会社勤めの多忙な生活から逃げ出し、180度ガラリと変わった日常を過ごしている。
それまであった交友関係を断ち、携帯電話もならない、会社で時間に追われることもなく、人間関係による重圧もしがらみもない。
まるで定年退職した人が急に時間を持て余し、孤独から抜け殻のようになってしまったような状態、、
社会から見放され、孤独死するというのはこういうことか、、などと平日の昼間にベランダから外の景色をぼんやり眺めていると、
いつも見慣れた景色でも休日と平日とでは見えるものが違うのを感じた、平日の昼間、世間は当たり前のように活動している、作業着姿の人をみては、
社会と接点のない自分にはどこか取り残された感じがあった、世の中から求められていない疎外感、孤立感、これほど辛いことはない。
しかし、この辛い経験を糧にしようと考えるようになった、職場で戦力外通告を受け、「死ね」と言われた過去をも糧として、、
裸で外へ放り出され、ふんどし一枚の自分に何ができるのだろう、、そういうことを考えるキッカケを与えられていることに少しずつ気づき始めたのだ。
40代の今、そういう機会を持てたのはラッキーだったのかもしれない、その中で得られたものは、
- 自分を客観視できたこと
- 人との繋がりを意識できたこと(1つの繋がりに執着しない)
- なんのために働くのか、ではなく、なんのために生きるのか、と考えられたこと
この考え方を持つことで、どんな絶望的な状態であっても原点に立ち返ることができるようになった。
どんな状況であろうと、「自分には何ができるのか」心打ちひしがれようとこの問いだけは意識してほしい。
たとえば地球に住めなくなり、別の惑星を訪れたとき、
あなたなら新しい土地(惑星)で生きていくために何から始めるだろう?地球(組織)に安住することなく、自立し自由な個人として自分自身の人生を開拓し歩くには、、、そんな自分を見つめ直し、考えることが出発点になる。